テキスト:関 涼子


 門前仲町――深川近辺は富岡八幡宮や、深川不動堂などを中心に神社仏閣が多い。地元ならではの商店街も充実していて、毎月三回開催される縁日にはたくさんの露店が軒を連ね、多くのひとが訪れて活気ある賑わいを見せる。
 そんな賑やかな門前仲町だが、実は怪談話でも有名だ。
「東海道四谷怪談を書いた四代目鶴屋南北は、晩年この辺りに住んでいたんです。あ、あそこ」
 門前仲町が指した先、赤い鳥居が見える。
黒船稲荷神社の敷地内で暮らしていたそうですよ。作中にも、この近辺の地名がいくつか登場します。お岩の妹、お袖が住んでいた三角屋敷という場所は、いまは深川一丁目児童遊園がある辺りです。道路が斜めに走っていて、ちゃんと三角形なんですよ。行ってみましょう!」
 そぞろ歩く駅メンたちにあれこれ説明をしつつ、うきうきと軽い足取りで、門前仲町は先頭を歩く。
「ねえ、門前仲町さん。僕、東海道四谷怪談ってあんまり知らないんだけど、その三角屋敷ってなにが起こるトコ……?」
 汐留がおそるおそる聞くと、門前仲町がパッと笑顔になる。
「名場面ですよ! 男が持っているお岩の形見のクシを取り戻そうと、タライの中から女の白い腕がにゅ〜っと……あれ? 汐留さん、どうかしましたか」
「な、なんでもない……」
「なるほど、汐留殿は怪談話が少々苦手のようでござるな」
 両国がしたり顔で言うと、汐留はくちびるを尖らせてそっぽを向いた。
「うるさいなあ。怖いわけないでしょ、昼間なんだしっ!」
 まあまあ、と六本木は汐留の肩を軽く叩いてから、門前仲町に向き直る。
「じゃあ、南北は自分ちの近所を舞台に怪談を書いたんだね」
「そうですね。お岩さんの亡骸が流れ着くのは、清洲橋通りが横十間川を横切るところにかかっている橋の辺りです。お岩さんに因んで、いまは岩井橋と呼ばれています」
「物語の方が地名になっちゃった場所もあるんだ!」
「はい。それから、お岩さんの亡骸が運び込まれたのはあそこ、法乗院という設定です」
 一同が歩く先に、法乗院・深川ゑんま堂と書かれた入り口と、立派な瓦屋根が見えてくる。
「賑やかな街なのに、寺社仏閣がたくさんあって……静と動というか、なんとも不思議な雰囲気ですね」
 月島の言葉に、門前仲町は深く頷く。
「江戸時代の方々もそう感じていたようです。だからこそ、南北も怪談の舞台に選んだのかもしれません。そうそう。先ほど通りがかった黒船稲荷神社の近くにある於三稲荷も、怪談阿三の森という怪談の舞台になっています」
「これか。落語家三遊亭円朝の作で、実話を基にした怪談話と言われている」
 深川ガイドブックを片手に都庁が呟く。
「新十郎とお三は、お互いが兄妹と知らずに恋に落ちる。新十郎に別れを切り出されたお三は、絶望のあまり死んでしまう。その後、蛇に化身したお三が夜ごと現れ、新十郎を脅かしたという……」
「女性の恨みは今も昔も怖いなあ」
 新宿がぼやいた。
 隣で「ワン」と鳴くとくがわの心は、さしずめ(怖い目に遭うのもほどほどにな……)というところだろうか。だが、門前仲町は阿三の森についての講釈で忙しく、残念ながら翻訳はされなかった。
「作中では特に触れられていませんが、於三稲荷の隣には古木弁財天が祀られています。蛇は弁財天の使いであると言われていますから――」
「お三ってえ女の人を鎮めるために祀ったのかもしんねーってことか」
「かも、です! ロマンですよね」
 膝を打つ両国に、門前仲町はニッコリ笑う。
「それに、中は緑がいっぱいの庭園みたいな神社なんですよ。水琴窟もあって、とてもきれいな音がするんです」
「その、水琴窟ってのはなんなんだい?」
「えっと、元々は手水鉢のお水を排水する仕掛けなんですけど……」
「手水鉢って、神社やお寺で口や手をすすいで身を清めるアレだよね? ひしゃくがセットで置いてある」
 六本木が訊ねると、門前仲町が嬉しそうに頷く。
「それです、それです。その、鉢の近くに穴を掘っておいて、その空洞に手水鉢の水滴を落下させると、反響してきれいな音が鳴るんです」
 新宿がなるほど、とまばたく。
「へえ、それは洒落たアイディアだな」
「ですよね!」
「怪談話も面白いけど、それにまつわる話もすごく面白いな。さすが、門前仲町さん」
 改めて、六本木が感心したように言い、大きく息をついた。他の駅メンたちも同意するように頷く。
「いえ、自然にいろいろ覚えちゃうだけなんです。お隣の清澄白河さんもですけど、こういう場所がたくさんありますから」
 えへへ、と照れたように門前仲町が頭をかいた。
「でも、ちょっと怖い場所ばかりを回っちゃいましたね。次はパワースポットを巡りましょうか!」


 門前仲町から飯田橋まで、大江戸線で約二十分の距離。
「やあ、よく来た。諸君」
 駅を出たところで手を上げたのは、駅ナンバリングE-06の駅メン、飯田橋麗夢だ。
「こんにちは、飯田橋さん。お久しぶりです」
 門前仲町がぺこりと頭を下げると、飯田橋は大きく頷き、揃って並ぶ駅メンたち七人を見渡した。
「この辺りをあちこち歩きたいそうだな、いいだろう。私になんでも聞きたまえ」
「ありがとうございます! 実は僕たち、パワースポットを回りたいと思っているんですけど」
「ふむ、パワースポットに科学的根拠があるとは思えないのだが、人の精神に影響を及ぼすのは事実のようだ。よかろう……ならば、善国寺東京大神宮はどうだろう」
「飯田橋周辺と言えば、やっぱりその二カ所ですよねっ」
 嬉しそうに声を弾ませ、門前仲町が何度も頷いた。
 門前仲町と飯田橋が先を並んで歩き、残り六名の駅メンたちがそれに続く。
「ねえ、ねえ」
 汐留が、六本木の脇を肘で小突く。
「なに?」
「飯田橋さんて、バツイチのシングルファーザーだよね?」
 抑えた声音でそっと訊ねると、六本木が頷く。
「男の子と女の子の双子がいるんだよね」
「いっつも思うけど、全っ然そんなふうに見えないよねー」
 改めて、一同は前を行く飯田橋に視線を向ける。
 飯田橋はいつもどおり白衣を着込み、シワひとつない裾を翻しつつ、颯爽と街を歩いている。目許に光るスッキリしたフレームの眼鏡は、いかにも知的な雰囲気だ。
「すごくモテそうじゃない? しかも雰囲気が独身っぽくない?」
「なのにバツイチか……。東京大神宮は縁結びの神様だって、門前仲町は言ってたのにな」
 新宿がぽつりと言い、全員が一斉に「あ!」と声を上げた。
「そ、それって、御利益なかったってことかな?」
「いや……大明神の力を持ってしても解決できないぐらい、修羅場だったのかもしれないぞ」
「いったい、なにがあったんだろ」
 汐留と新宿が額を集め、ヒソヒソとウワサを始める。
「直接聞いてみろよ。さっき、なんでも聞けって言ってただろ?」
「ええ!? アレはそういう意味じゃないでしょ。それに、僕やだよ。新宿さんが聞いてよ」
 隣で聞いていた六本木が、困ったように眉を顰めた。
「二人ともやめようよ。勝手にプライベートのことアレコレ言っちゃ、飯田橋さんに悪いって」
「『東京大神宮は伊勢神宮と同じ天照皇大神と豊受大神を祭神としており、東京のお伊勢さまと呼ばれている』――あまり恋愛とは関係がなさそうだが」
 ガイドブックをめくる都庁の手許を、月島が覗きこむ。
「都庁さん、ここを見て下さい。結びの働きを司る造化の三神が併せまつられていることから、縁結びに御利益のある神社としても知られ……と書いてあります。ご縁を結ぶ御利益と、恋愛成就とは別なのかもしれませんね」
「惚れた腫れたの問題は、たとえ神様だっておいそれとは触れられねえ、ってことじゃねえの? しかも、相手は飯田橋さんだろ? 荷が重すぎらぁ」
「私が、どうかしたか?」
 両国のぼやくボリュームが大きすぎて、前を歩く飯田橋が急に振り返った。
「い、飯田橋さんは今日もかっこいいなって話をしてたんだよ。ねっ、ねっ?」
 汐留が目配せすると全員がコクコクと何度も頷き、異口同音に「そうそう」と声を上げた。
「それより飯田橋さん。僕たち、どこへ向かってるの?」
 六本木がさらりと助け船を出すと、
「きみたちとの待ち合わせが坂下だったので、まずは善国寺へ行こうと思っている」
 飯田橋は、坂の先を指さした。
「駅出口近くの外堀通り近辺は『神楽坂下』、ここから大久保通りにある坂上までのゆるやかな坂道が『神楽坂通り』になる。善国寺はすぐの場所だ。まもなく着く」
「やっぱ、東京大神宮には辛え想い出があんのかも……いってえ!」
 呟く両国の足を、汐留が勢いよく踏んづけた。
「おい、汐留っ」
「ごめんごめん! ……もー両国さんってば、せっかく六本木さんが話逸らしてくれたんだから、そのネタ引っ張るのもうやめようよっ」
「お、おう。そういうことか。悪い悪い」
「ところで今日は牛込神楽坂さん、いないの?」
 汐留が訊ねると、飯田橋は肩をすくめた。
「あいつは気ままな奴だからな……天気がいいから、どこかへ出かけてしまったようだ」
「そっか、会えると思ったのにちょっと残念だな」
「あのー、みなさん……」
 ふと見ると、門前仲町がキョロキョロと辺りを見回していた。
「門前仲町さん、どうかした?」
「いえ、僕のことではなくて。その、とくがわさんは、どちらに……?」
 ハッとして、全員が足許を見る。
「とくがわ?」
 ちょこちょことついて歩いていたはずの、とくがわの姿がない。
「ダメ、見つからない」
 慌てて手前の路地を覗きに行った汐留が、小走りで戻ってくる。
「アイツ、どこ行ったんだろ……」
「最後に見たのはいつ、どこだ?」
 都庁が全員を見回して訊ねると、月島がこめかみに指を添えつつ呟く。
「出口で、飯田橋さんと会ったときはいたと思います」
「ああ、確かに見た。私も覚えている」
 飯田橋が頷く。
「だとすると、姿が見えなくなったのは神楽坂を歩き始めてからか……?」
「門前仲町さん、とくがわの声は聞こえませんか?」
 月島が訊ねたが、しかし、門前仲町は首を横に振る。
「声がすればわかりますけど……気配まではわからないです。すみません」
「門前仲町さんが謝ることないよ。僕たちも話に夢中で気づかなかったんだし」
 しょんぼりと頭を下げる門前仲町を励まそうと、六本木が肩を叩く。
「みんなで手分けして探そうぜ。そう遠くへは行っていないはずだ」
 新宿の言葉に、全員が神妙な面持ちで頷いた。

 ―― 一方、その頃。
(……まいったぞ)
 とくがわは神楽坂の狭い入りくんだ路地で、道に迷っていた。
(駅はどっちだ? アイツら、どこ行った)
 てくてくと歩きながらウナギの良い匂いに足を止めたり、神楽坂の碑を見たりしているうちに、気づいたら駅メンたちの姿が見えなくなっていた。横道に入ったのかもしれないと路地に入ったら、ますます道に迷ってしまった。
「ワン!」
 吼えてみたが、誰も駆けつけて来ない。
(腹、減った……)
 おまけに日も暮れ始め、影の長さが次第に伸びてゆく。辺りがどんどんと暗くなってくると、にわかに心細くなってきた。
(どうする、オレ)
 途方に暮れて、夕焼けを見つめながらしゃがみこんだときだった。
「やあ、きみ。こんなところで、いったいどうしたんだい?」
 背後から、声がかかった。




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