テキスト:関 涼子


「……おや? 賑やかだと思ったら、お客様ですか?」
ビックリして振りかえると、車輛連結のすぐそこに、ひとりの男のひとが立っていた。
(また別のひと、だ)
そろそろわたしも、登場人物が増えたくらいじゃ驚かなくなってきた。人間は適応する動物って本当だと思う。
(でもこのひと、いままでのひとと違う)
声は低いけど流ちょうな話し方をするこのひとは、ツバの広い帽子を深く被っていて、顔が見えない。それに、駅のみんなとは着ているものが違う。真っ白なダブルボタンのジャケットに、真っ白のスラックス、真っ白の手袋。マゼンタ色のタイだけがかろうじて他のみんなと同じだ。
「レディには最上級のおもてなしをするのが私共のモットーですが、しかし、どうやら貴女は招かれざるお客様のご様子」
「え?」
言い方はとても落ち着いていて優しい……けど、ひょっとしてわたし、いま、このひとに怒られてる?
 招かれざるって……わたし、ここにいたらダメってこと?  
ずいぶんと背の高いこのひとを、下からじいっと見つめてみたけれど、でも、やっぱり顔がよく見えない。
(ええい、もうちょっとこう、真ん中辺りのフレキシブルな素材でできた人材はいないのかしらっ)
イケメンすぎても動揺するけど、全然見えなくても困っちゃう。
「あの……ええと」
「僕が連れて来たんだっ」
突然六本木くんが、わたしと男のひとの間へ立ちふさがった。
「彼女を助けたかったんだ!」
だけど、帽子のひとは返事をしない。居心地の悪い沈黙のあと、六本木くんは少し怯んだみたいに後ずさってから「だって今日、すごく混んでたんだ」と小さくつけたした。
「狭くてぎゅうぎゅうで……彼女、端っこで小さくなってたんだ。かわいそうだろ。そんなんで大江戸線のこと、キライになったら嫌だよ」
六本木くんが必死に言うと、帽子のひとは小さくため息をついて、肩をすくめた。
「たまたま混む日もあれば、空いている日もあります。お天気みたいなものですよ。雨の日も、晴れの日もある。だけど、雨の日だって決して悪い日じゃありません。そうでしょう?」
「それは……そうだけど」
「確かに毎日ガラガラなら乗りやすいかもしれません。けれども、それでは誰からも必要とされていないということになってしまいますよ」
「う……」
帽子のひとは穏やかだけど、容赦ない。言葉に詰まった六本木くんがほんの少し俯いたのがわかった。
「あの……っ、待ってください!」
思わずわたしは大きな声を上げていた。
内心ちょっとだけ「しまった」と思ったけど、もういまさら引っ込みがつかない。帽子のひとも、駅のみんなも、わたしの次のセリフをじっと待っている。
(でも、だって、六本木くんはわたしのこと心配してくれたのに)
混んでるからって、かわいそうだからって全員をここに呼んだら、ミラクル☆トレインが満員電車になっちゃう。もちろんそれくらいはわたしにもわかるけど、でも六本木くんひとりが責められるのは、なんだか違う気がする。
それに、

──ちょっとは好きになってくれた? 
──そんなんで大江戸線のこと、キライになったら困るだろ

六本木くんはなによりも大江戸線のことを大切に思ってる。電車の話をしているときの六本木くん、本当に嬉しそうだったもの。
ミラクル☆トレインに乗ったのはわたし。どんな事情があったにしろ、イレギュラーなのはわたしの方だ。なのに、いまここで庇われて後ろに隠れてるだけなんて、そんなの性に合わない。
わたしは息を整えて、改めて帽子のひとをじっと見つめ上げた。
「わたし、ミラクル☆トレインに乗っちゃマズかったでしょうか!」
ダメに決まってる。そう言われるのを覚悟した。
けれど、
「いいえ、あなたは少しも悪くないんですよ。お嬢さん」
彼は驚くほど優しくにっこりと笑った……口許だけ。
(お、おっかない……!)
表情全体が把握できないと、笑顔ってこんなに怖いの!? それともこのひとがピンポイントで怖いの!? どっち!?
(だ、だからって、簡単に引き下がるもんですかっ)
とっさに「ごめんなさい! 私が悪うございました!」って言って逃げ出したくなるのをぐっと堪えて、わたしはごくりと唾を飲み込み、もう一度お腹に力を入れ直した。
「じゃあ、そんなに六本木くんをいじめないでくださいっ」
「いじめる……?」
「そうです! それに、他のみんなも。わたし、みんなにとても親切にしてもらいました! あと、大江戸線には毎日乗ってるし、大好きです。それから、みんなの……六本木くんのお陰で今日からもっと大好きになりましたっ!」
すると──わずかな沈黙の後、彼は口許を手のひらで覆ってくすくすと面白そうに笑いはじめた。
な、なによ。がんばったのに笑うことないじゃない。
「とても元気なお嬢さんですね。それにみなさんも、貴女のことがよほど気に入ったらしい」
「え?」
ほら、と促されて振りかえると、みんなそれぞれの笑顔でわたしを見ていた。
(やだ、わたし……なんか変だった!?)
急に恥ずかしくなって、ほっぺたがどんどん勝手に熱くなっていくのが自分でもわかった。
「こんなことは滅多にないんです。ミラクル☆トレインは、誰もが乗れるわけじゃないんですよ。資格を持つレディしかお招きできない」
そう言って、彼はわたしの前になにか差しだした。
「これ、カード……?」
自動改札へ当てるICカードに似てる。でも、こんなデザインは見たことがない。かわいい犬の絵が描いてある。
「norucaって言うんだぜ」
ひょいと身を乗り出した新宿さんが、犬のマークを指差して笑った。
「こいつ。名前、とくがわってゆーんだ」
「とくがわ、くん?」
「そ。かわいいだろ?」
「へ、へえ……」
顔はこんなに愛くるしいのに、ずいぶん厳つい名前なのね……。
「このnorucaを持っているひとだけがミラクル☆トレインに乗ることができるんです。本当はね」
そう言って彼は、ちらりと六本木くんを見た。
「わかってるよ、それくらい」
ふいっとくちびるを尖らせ、六本木くんはそっぽを向いた。
「だからって、目の前で困ってる子がいても絶対に乗せちゃいけないの?規則だから見て見ぬフリして放っておけっていうの?」
「俺も六本木にさんせー」
新宿さんが手を上げた。
「いいじゃんないの? たまにはこういうのがあってもさ。あんまり固いこと言わない、言わない」
「それでは規則にならないだろう」
と、これは都庁さん。
「が……私もその子は悪い子じゃないと思うし、六本木が言うことももっともだ」
「おや、珍しいね」帽子のひとが首を傾げた。 「都庁くんまでそんなことを言うなんて」
「僕も、その子は悪い子じゃないと思うな。センスも悪くないし。それに、汐留に来てくれたことがあるって!」
「私も、優しいお嬢さんだと思います。さっきから私たちの言葉に辛抱強くじっと耳を傾けてくださっていますし」
「汐留くんも、月島くんも?」
ふたりは揃って頷いた。
「やあやあ、皆の衆! 拙者もお忘れめさるな!」諸手を挙げて両国さんが割り込んできた。「この方とはなにやら江戸の気合いがわかりあえそうだ、と思っておったところでござる!」
「うっさいよ、ござる。いまいい話してるんだから空気読んでよ」
「なにを言うか。よし、では今度江戸っこの心意気をとくと語り合おう!」
「やだよそんなのっ」
汐留くんの嫌そうな顔を見つつ、帽子のひとは少し考え込むように俯き、ほどなく小さく頷いた。
「わかりました。かなりの特例になりますが、全員がそう言うならいいでしょう。許可します。──お嬢さん」
「は、はいっ」  
みんなのやり取りをぼんやり聞いていたわたしは、驚いて背筋をしゃんと伸ばした。
「これを貴女に差し上げましょう」
「これ……さっきのカード?」
「はい。貴女がこれを持っているのなら、いまミラクル☆トレインに乗っていてもなんの不都合もありません。そういう決まりですから、ね」
「え……! じゃあ」
「我々を心から必要とする気持ちさえあれば、ミラクル☆トレインはいつでも貴女の元へやってきますよ」
「よっし! そう来なくっちゃ!」
六本木くんがガッツボーズをしてみせた。それから──
(きゃああああああ!)
わ、わ、わたしの手を握って、また、超ドアップに!
「やな気分にさせてごめん。僕がちょっと焦って順番飛ばしたせいで」
ぶんぶんと頭を横に振った。
う、嬉しいんだけど、お願いだから、いきなりわたしのココロの白線を越えて内側に来ないで!! 心臓に悪いから!
「なんか……どうしてだかわからないけど、でも、どうしてもほっとけなかったんだ。君のこと」
「あ、あ、あ、ええと……ありがと」
「僕の方こそありがとう」
「え?」
「さっき、君のことで揉めてたとき。大江戸線大好きだーって言ってくれたの、あれ、僕のことかばってくれたんだよね?」
照れくさそうにそんなことを言う六本木くんを見ていたら、ますます恥ずかしくなってきた。
やだ、どうしよう。手に変な汗かいちゃいそう……。
「ね、また来てくれる? ミラクル☆トレインに乗ってくれる? 僕、もっと君とたくさん話がしたい。僕のことも知ってほしいから」
甘い囁きに、爽やかお日様笑顔が大全開。
こくこく首を縦に振るだけの動作で、わたしの脈拍水位はもう表面張力ギリギリ。
「わぁ! ホントにっ?」
汐留くんが屈託なく笑ってわたしの腕へしがみついてきた。
「だったら、今度うんとオシャレして汐留までおいでよ。そしたら僕、案内するよ!」
「え、いいの?」
「もっちろん!」
汐留くんが胸を張ってそう言うと、ひゅうっと軽い口笛の音がした。顔を上げたら、新宿さんが楽しそうな顔でわたしにウィンクしてくれた。うわ、ウィンクが似合っちゃうひとってホントにいるんだ……。
「モテモテで競争率高いなー。けど悪くない、か。うん。むしろそういう方が俄然燃える」
「おまえは少し慎め、新宿」
「いやん、都庁。凛って呼んでってばー」
「凜、いい加減にしろ」
「うっわ。おまえホントに呼んじゃうから怖ええわ。……わかったわかった、睨むなよ。やめる、やめます! フツーに仲良くします! 俺流でフツーに、ね」
「……こんな具合だから、今後車内でなにか困ったことがあったらすぐ私に言って欲しい。全力で速やかに、かつ前向きに善処するつもりだ」
じゃあ都庁さん、その艶っぽいアナタの目許をいますぐなんとかしてください。
……とは、さすがに言えないから力なく頷いた。
「みんな、少しは落ち着かないと。そんないっぺんにいろいろ言うから、彼女が困ってますよ」
月島さんが苦笑してこっちを見ていた。
「また気負わずに来てくださいね。今度はなにか面白いものを用意しておきます。ハゼとか」
「はい……え?」
おっとりした満面の笑みでなにか、変なことを言われた。
「ええと…………ハゼ、ですか?」
「はい、ダボハゼです。東京一の愛され魚です。それはもう、食いつきがいいんですよ」
それ、持って来てどうするんだろう……。
「そなた、七味唐辛子はお好きでござるか!?」両国さんがいきなりポケットから小さな筒を取り出して見せた。
「拙者、実を申せば自他共に認める七味ラー。次の機会にはぜひ共に味わおう!」
月島さんの穏やかな笑顔と、両国さんの勢いにぽかんとしてまばたき、思わず苦笑していたら、なんだか少し気持ちが落ち着いてきた。
そこでわたしはふと、気づいた。
気づいてしまった。

──また来てくれる?
──今度オシャレしておいでよ!
──今後困ったことがあったら
──今度はなにか
──次の機会には

思わず、慌てて腕時計を見た。
(電車を降りる時間……)
毎日乗ってる大江戸線の運行ダイヤは、もうすっかり頭に入っている。この時間はもうすぐ、いつもの駅へ入って行くころ──。
ハッとして顔を上げると、みんな、笑っていた。
あんまり面白くて、めちゃくちゃで、どきどきしていて、すっかり忘れていた。
(わたし、バカみたい。夢は、必ず覚めちゃうのに)
急に胸の真ん中がぎゅっと痛くなった。
「そんな顔をしないでください」
すっと、帽子のひとがわたしの前へ進み出た。
「先ほど申しましたでしょう。そのカードを持ったひとが心の底から望むなら、わたしたちはいつでも貴女のところへやってきます。……遅ればせながら」
そう言って彼は、丁寧な仕草で一礼した。
「私はこのミラクル☆トレインの車掌を務めております。以後、お見知りおきください。──さあ」
わたしは彼につい、と片手を取られ、優しく扉へと促された。
「わ……っ!」
目の前が真っ白になるほどの強い光が──弾けた。だけど、一歩踏み出してしまったわたしの足は止まらない。
靴底にかつんと、電車とは別の床が当たる。思わずぎゅっと目を瞑った。
とたん、突風みたいな風がざあっと背中を滑り抜ける。バタバタと勢いよく髪の毛とスカートが煽られ、なにかガンガンと大きな音が耳朶を叩き、驚いたわたしはただ身体を小さく固く縮めた。
そして程なく、しんとなった。
恐る恐る目を開けると、そこには見慣れた風景が広がっていた。
(いつもの駅だ)
毎朝通っている、駅。大江戸線の。
目の前を、いろんなひとが知らん顔で次々通り過ぎていく。新聞を小脇に抱えたサラリーマン、しかめっつらでずんずん歩くおじさん、ブランドもののショルダーバッグを下げたおばさん、高いヒールをカツカツ鳴らして颯爽と歩くOLさん──
「あの」
ぼんやりしていると、脇から声を掛けられた。
「え……あ、はい。すみません」
「いえ。落としましたよ、これ」
差し出されたのは一枚のカードだった。
「あ──」
かわいい犬が書いてある、プラスチックの。
夢の電車に乗るための通行証、noruca。
ミラクル☆トレイン──そして、駅の名前をした男の子たち。
「夢じゃなかったんだ……」
わたしはその固いカードをそっと両手に包んで、胸元へ寄せた。

 ──そのカードを持ったひとが心から望めば、わたしたちはいつでも貴女のところへやってきます

「じゃあきっとまた、逢えるよね」
わたしは小さく呟いて、線路を振り返った。
いまそこに電車はない。ただの暗闇。けれど、この線路は彼らの乗る電車に繋がっている。そして、またきっと気まぐれに繋がってくれるに違いない──そう、それはまるでくるくる変わる気まぐれなお天気みたいに、ある日、突然。
「カード、持っていてくださいね。あなたは彼らにとっても大切なひとなんですから」
「え……?」
驚いて、声がした方を振り向いた。けれど、誰もいない。
「車掌さん……?」
呼んだけれど、誰も返事をしなかった。
電車が行ってしまったばかり、誰もが急いでいる朝のプラットフォームはもうとっくに閑散としている。
わたしはぽかんとその場に立ち尽くして、それから、思わずくすりと笑った。
(やっぱり……変なひとたち!)
また次に逢ったときも、きっとわたしをあの手この手でビックリさせてくれるに違いない。
「さ、今日もがんばってこ!」
わたしは鞄の中からお気に入りのカードケースを取り出し、定期とは反対側にその大切なカードをしまって、改札へ向かう階段を足取り軽く駆け上がった。
上からびしょびしょの傘を持ったひとが下りてきて、ああ、やっぱり外は雨なんだなって気づいた。
けど、雨なんてちっとも憂鬱じゃない。
だって、次にやってくるのは、きっと晴れの日だもの!


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