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テキスト:六角 橙
第一話
森下 市三は、眼前に置かれた何とも洒落たクリーム入りのコーヒーに戸惑いが隠せないでいた。
「どうした、森下?」
自身を見つめてくる青山一丁目 縁は、ロイヤルミルクティーを品の良いカップで飲んでいた。なんとも絵になる姿に、つい森下は目を伏せる。
「あ、いや……」
「ひょっとしてカプチーノは苦手だったか?」
「いや、なんでもない」
青山一丁目は同い年の駅メン。それでも、やはり自分とは違う存在に見えてしまう。森下は口ごもった。
「だからさ、蔵前の成功をみれば、お前だってビジネスチャンスが絶対にあるはずなんだ。もっと自信を持てよ」
話を仕切りなおす青山一丁目の手元には、蔵前を特集した記事がある。
蔵前に新たにできたモダンな雰囲気のカフェやレストラン。人気スポットを巡るデートコースなど、読むだけでも楽しそうな内容ばかりだ。
雑誌の隣に青山一丁目はスマホを置いた。森下のところに広がる高橋商店街こと通称「のらくろ〜ド」を特集したネット記事が表示されている。
「たとえばこのクリエイターが集うショップ。このカフェも。昔の工場跡がうまく活かされているだろう?」
森下は頷いた。モダンなジャズがかかる店内は、昼下がりらしいのんびりとした雰囲気に包まれている。ただ、店内の席は満席で、待っている客までいるほどだ。
森下が青山一丁目とこのカフェにいるのには、理由がある。
歴史好きな彼は今、松尾芭蕉に興味津々らしい。そこで資料館や句碑の多い森下に遊びに来たのだ。駅で青山一丁目に鉢合わせた森下は、それなら紹介したいところがたくさんある、と案内を申し出た。
一通り、資料館や史跡を見て回った後。青山一丁目が「間違いねーな」と呟いたかと思うと、このカフェに森下を連れ込んで話をしはじめた。
その内容こそが、蔵前のような活気ある街になるポテンシャルが、森下にもあるという話だった。
(かつて森下は日雇い労働者が集う街だった。今でも倉庫街や町工場が多いし、高橋商店街は俺が好きな場所でもある。まあ、青山一丁目が言うのも分からなくはないな……)
相も変わらない街並みの隙間に、きらり、きらり。
スタイリッシュでおしゃれなカフェや、アーティストが集うギャラリー。隅田川にかかる清洲橋から見える景色も、彼らにかかれば『エモく』なる。
でもその変化が、森下には少しだけ早いように思えた。
(お前はどう思う……?)
森下がネクタイ中のカエルへ話しかけても、返事が来るわけでもない。
「そうだな。でも、やっぱり両国や清澄白河に比べたら、街自体は変わらない古い景観だし……」
青山一丁目は森下の不安げな表情に首を傾げた。
森下駅は、彼の言う両国や清澄白河よりも乗降者数が段違いに多い人気駅だ。今後の発展は、街にとっても人にとっても、良い出来事ではないのか。
青山一丁目の疑問に答えるように、森下が言う。
「……青山一丁目。俺、きっと、不安なんだと思う」
「不安?」
「変わっていく街が、変化が、少し怖いんだ」
カプチーノが入ったカップに手を添えて、森下は苦笑した。
いつもは喫茶店に入っても、何も入れないブラックコーヒーを飲んでいる。
しかし今日は、普段は来ない店に来た。せっかくだ、何か別のドリンクを試してみようと思いついたものの、何を頼めばいいか分からない。
そこで青山一丁目に尋ねたところ、カプチーノを勧められた。
森下自身、名前を知っているが飲んだことのない飲み物。青山一丁目に勧められなければ、選ぶこともなかった。
「自分に可能性がある、そう言ってもらえるのは嬉しいし、信じてみたい。でも新しいことを始めるのが、少し不安なんだよ」
青山一丁目は「なるほどな」と頷きつつ、カップを手に取ってロイヤルミルクティーを一口飲む。
そしてすぐにいつもの表情に戻り、話し出した。
「……ま、今日は別の用事があって、お前のところに来たんだけどな」
「えっ?」
思いがけない青山一丁目の言葉に首を傾げ、森下は彼が差し出したタブレットに目を通す。
ミラクル☆トレイン 夏のレクリエーション
「大江戸・ベースボール・キャンプ」(略してOBC!)の開催決定!
ああ、と森下は頷いた。
「車掌からメールが届いてたな。メンバーを募っていたと思うが……そうか、青山一丁目はエントリーしたんだな?」
「もちろんだ。お前も、俺がエントリーしておいたからな。そろそろいい時間だ、行くぞ」
何を言われたのか、一瞬理解できず、森下は聞き返した。
「エントリー?」
「ああ」
「つまり、その、OBCに?」
青山一丁目は大きく頷く。
確かに、タブレットに記載された時間からすると、今からミラクル☆トレインに向かえばちょうどよくOBC説明会に間に合うだろう。
いや、そうではなくて。
「ベースボール・キャンプってことは、野球だろう?」
当たり前だろう、という顔で青山一丁目が森下を見つめる。
「せっかくのチャンスだ、いくぞ」
「い、いやいや! 俺、野球なんてやったことないぞ?」
「だからって、エントリーしない理由にはならないだろう?」
電子マネーで森下の分まで支払いを済ませた青山一丁目が、颯爽と席を立つ。
「お、おい、待てってば!」
不安を吹き飛ばすような彼の勢いにつられて、森下も店を後にするのだった。
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到着したミラクル☆トレインへ二人が乗り込むと、元気な声が飛んでくる。
「おっ! 青山一丁目! 森下! お前たちも来たんだな!」
満面の笑みでこちらを見るのは、春日 七葵。彼の性格を表すかのように明るい青色の瞳には、楽しみでしょうがない、と言いたげな輝きが宿っていた。スポーツ全般が好きな彼にとっては、きっと今回のイベントは本当に楽しみなのだろう。
また、考えてみれば青山一丁目と春日の駅周辺には、野球に関連した施設もある。二人が今回のイベントに前向きなのも納得だ。
森下は青山一丁目に、自分がここに呼ばれている理由が思いつかず話しかける。
「やっぱり、野球に関係のある春日みたいな駅の方が適任じゃないか?!」
「ん? 東京ドームのことか?」
当たり前だと言わんばかりに満面の笑みで答える春日に、森下は憧れに似たうらやましさを感じていた。
新しいことへ挑戦するときの恐怖感。失敗への不安。どちらもマイナスな感情だ。
その二つを抱える自分とは違い、なんて自信に満ちているのだろう。
すると森下の考え事を打ち消すように、青山一丁目が言う。
「可能性、だ」
「……可能性」
懐かしい街の雰囲気に、きらり、きらりと、新しい息吹が吹き込まれていく。そんな森下という場所そのものに、自分が置いてけぼりにされそうな感覚が、恐ろしかった。
駅メンであるにもかかわらず、自分の慎重な性格から、暮らす人々の変化についていけないのが情けなかった。
「なんだか事情がありそうだけど、森下。青山一丁目。そろそろ車掌が説明するみたいだし、聞きに行こうぜ」
森下の手を、春日が掴んだ。
(……話を聞くだけ、聞いてみるか)
ミラクル☆トレインが森下駅から出発する。
彼を励ますように、昭和レトロな街並みが静かにたたずんでいた。
駅メンたちが集うミラトレの車内では、大江戸・ベースボール・キャンプの説明会が始まった。
白い衣装を着込み、いつもの通り目許は仮面で覆われて表情の読めない車掌が皆の中心に立つ。だが、彼の動きと声色から楽しみにしているのが伺えた。
「野球に愛され、野球を愛する駅メンの皆さん。この度、路線の枠を超えたドリームチームによる、史上最高のベースボール・エンタテインメント!! を開催いたします」
楽しみだ、と言わんばかりの表情を浮かべる駅メンたち。
もともと野球チームを作るほど、野球好きの多い駅メンたち。ミラトレリーグと称し、試合を繰り広げることも珍しくない。
森下のお隣さんでもある両国 逸巳も、目を輝かせている。
「大江戸・ベースボール・キャンプ……略してOBCですが、毎週日曜日に試合を行い、勝敗の数で勝ち負けを決定。試合回数は全部で3試合! 先に2勝したチームが優勝となります!」
もったいぶった動きで車掌が駅メンたちを見まわした。
「それではっ! チームメンバーを発表いたしますので、皆さん、チームごと集まってくださいね」
車掌の声掛けとともに、いつの間にか用意されたボードから幕が外される。
【ドリーム★チームOED】
都庁、両国、春日、五反田、国立競技場、練馬、豊島園、練馬春日町、光が丘、中野
(サポートメンバーとして:月島、若松河田、新江古田、中野坂上、東中野、吉祥寺)
【話題沸騰★チーム ミラクル】
六本木、新宿(凛太郎)、汐留、大門、青山一丁目、麻布十番、築地市場、勝どき、上野御徒町、幕張
(サポートメンバーとして:代々木、東新宿、新宿西口、西新宿五丁目、森下、飯田橋)
なるほど、と唸るように都庁 前が顎に手をやる。
「大江戸線のレジェンドである12号線組の先輩方や中野大先輩、そしてスタミナ自慢が集う『チームOED』。まさに夢のようなチーム構成だ。対する『チーム ミラクル』は六本木や新宿をはじめ人気駅が勢ぞろい、俊足を生かした試合運びが期待できる……」
分析を終えた都庁が、車掌に視線を向ける。
「チケット販売時に話題になるように、という思惑が感じられるな」
「ええ、それはもう。皆さんが『どっちを応援しようかなー!』や『どっちも応援したいなー!』と思えるようなメンバーを揃えましたので」
車掌が嬉しそうに言う。だが、都庁が車掌を見据えた。
「会場は、青山一丁目の神宮球場、幕張のマリンスタジアム、そして春日の東京ドーム……どこも人気球場だぞ」
「はい、会場の押さえも大変でした。そこで施設ごとのスケジュールに合わせて開催する、という方法で回避いたしました」
そう聞いて納得した様子で両国が頷いた。
「それで3週に分かれたのか。1試合につき1週間は練習できるってことだな」
「ええ、ええ! それからもう一つ。今回は監督1駅、そして9駅の選手とサポートメンバーという編成なのですが、チケットの売れ行きだけでなく、実はもう一つあるポイントに注意して編成を行ったんですよ。ふふふ……お分かりでしょうか?」
場が静まり返る。何だろう、と言わんばかりに皆が注目している中、ぽつり、と森下は呟いた。
「スポーツ好きな駅メンと、反対にスポーツとは無縁の文系駅メン、ですか?」
何のことはない、自分のことだ。
すると車掌が満面の笑みを森下に向ける。
「その通りです! 新たな挑戦となるOBCを通じて、意外な一面を見つけたり、お互いの足りない部分を補いあったり。新しい可能性を見出す良いレクリエーションといたしましょう!」
森下は内心で呟く。
(これは、断れそうにないな。仕方ない、少しだけ、頑張ってみるか)
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