テキスト:関 涼子


「僕らは駅メン。そして、この電車はミラクル☆トレイン──奇跡の電車と呼ばれています」
「奇跡……?」
 豊島園の説明を聞きながら、婦人は不思議そうに首を傾げる。すると、隣で練馬が得意げに腕組みし、胸を張って見せた。
「そ。俺ら駅メンはミラクル☆トレインに乗った淑女を、目的の場所までエスコートするのがオシゴトってわけ」
「……今回は、僕たちが連れて来たわけだけど」
 練馬春日町がぼやくと、光が丘が「ま、細かいこと気にすンなって」とひとの良い顔をさらに和ませて笑った。
「簡単に言うとラッキーってことだ。だろ?」
 そこへ、
「──ただし、ミラクル☆トレインに乗車することができるのは資格を持った女性のみ、という説明も足してください」
 音もなく、背の高い人影が現れた。着込んでいるのは白いジャケットと揃いのスラックス。目許はなぜか仮面で覆われており、人相はわからなかったが、
「車掌!」
「きみたちは、無理を言ってそちらのご婦人をお連れしたのですか? ずいぶんと驚いておられるようですが」
 一斉に声を上げた駅メンたちに、彼は微苦笑を滲んだ声音でそう返し、夫人の前で帽子を取って上品に一礼する。
「このたびはご乗車誠にありがとうございます、マドモアゼル。私はこのミラクル☆トレインの車掌を務めております。以後、お見知りおきを。──さて、きみたち」
 車掌が、駅メンを振り返る。
「いままでの経緯を聞かせてもらえますか?」
「その、なんつーか、このひとの旦那がいきなり死んじゃって、……そんでもってすっげー可哀想なんだよ! そしたらやっぱ助けたいだろ!」
「……誰か、練馬くんの翻訳をしてくれますか?」
 穏やかな表情は変えず──もっとも目許は隠れていて見えないのだけど──車掌が首をすくめた。
「としまえんの前で偶然お会いして、園内をご一緒しながらいろんなお話を伺ったんです」
 豊島園が前へ進み出て、これまでのことを詳細に説明した。
「なるほど」
 ふむ、と話を聞き終えた車掌が、小さく頷く。
「それで? 改めてきみたちの考えを聞きましょうか」
「なんとかして、旦那さんに会う方法はないでしょうか?」
「亡くなったひとを蘇らせるのは、いくらミラクル☆トレインでも無理です」
「わかってる、……けどさ!」
 うなだれそうになる豊島園を見て、練馬が大きな声を上げた。
「おっさんのことうまく忘れらんなくて、踏ん切りつかねえままで……このままじゃとしまえんが寂しい思い出になっちまうじゃん! おばさんの人生はまだまだいっぱい残ってンのにさ! あんたは、それでもいいってのかよ!」
 必死に食い下がる練馬を押しとどめて、今度は光が丘が続ける。
「俺らだって、無理言ってんのはわかってるよ。けどよ、仮にもあんた、ミラクル☆トレインの車掌だろ? なんもできねえって決めつけて引き下がったんじゃ、他の駅メンたちにも示しがつかねーし、俺ら12号線の名が廃るぜ」
「きっかけはどうであれ、ミラクル☆トレインへ乗車した女性を目的地までお送りするのが僕ら駅メンの務めでは?」
 ずっと黙っていた練馬春日町も静かに口を開き、車掌はやれやれ、と大仰にため息をついた。
「きみたちの言うことは至極、正論なのですが」
 すみません、と豊島園は頭を下げる。
「……でも、ミラクル☆トレインの駅メンである僕らが、としまえんで、悲しい笑顔の女性にお会いしたこと。この偶然には、意味があるんじゃないかって気がして……車掌さんならきっとわかってくださると思ったから、僕たち、彼女をミラクル☆トレインまでお連れしたんです。なんとかして差し上げることはできないでしょうか」
「まったく。困りましたね。四人がかりでわたしを脅したり、持ち上げてみたり」
 呟いてから軽く咳払いをし、車掌は夫人の前に立つ。
「まずはお悔やみを申し上げます。不慮の事故で半生の伴侶を失うとは、さぞやお辛い思いをされたことでしょう」
 夫人は驚きのさめやらぬ表情で遠慮がちに会釈をし、車掌を見つめ上げた。
「しかし、先ほどから再三申し上げておりますが、ミラクル☆トレインに死者を蘇らせる力はありません」
「ええ、もちろんです」
「ですが、あなたとご主人をお引き合わせすることであれば可能です」
「……え?」
「つまり」
 車掌は一歩引き、婦人と駅メンたち、全員を見渡した。
「あなたご自身を、ご主人が生きている時間へミラクル☆トレインでご案内することはできます──いかがですか?」
「車掌さん!」
「そうか。生き返らせるんじゃなく、生きているご主人と話をすればいいんだ」
「それいいっ、ナイスアイディア! やるじゃん車掌!」
「さすが! 決めてくれるぜ!」
 喜ぶ駅メンを振り返り、
「その代わり、きみたちには後できっちり働いてもらいますよ」
 車掌は口端を上げてそう言ってから、パチリと指を鳴らした。
 とたん、電車がガクンと揺れる。
「……これは」
 夫人は思わずひとりごち、窓の外を覗きこんだ。
 けれども、彼女の瞳には闇と、光の螺旋しか見えない。窓へ光が射しては消え、消えては差し込む。やがて、明滅はまばたきで追いつけないほどの速さになって、列車の床にいくつもの四角い影を描き出す。
「いったい、どこへ」
 言いかけて、夫人は口をつぐんだ。
 前方から光が束になって押し寄せ、視界が真っ白に埋め尽くされた。

「次は──豊島園、豊島園」
 アナウンスで、我に返った。
 ややあって扉が開き、発車のベルが鳴る。慌てて彼女は席を立ち上がって、駅のホームへ降り立った。
 ふと気づくと、手には切符を握りしめていた。どうしてだろう? 子供たちに勧められて、先日PASMOを買ったばかりだというのに。
 不思議な気分のまま、人混みに押されるままに改札へと向かった。改札ボックス付近には駅員が立っていて「ご利用ありがとうございます」と大勢の乗客へ笑顔で呼びかけている。
「本日はとても気温が低く、雨模様となっております。みなさまお足元にお気をつけて。くれぐれも傘をお忘れになりませんように」
 明るく告げる駅員の声に、彼女は首を傾げた。
 今日、外はとても暑かったのじゃなかったかしら?
 けれども、見回せば周りは皆分厚いコートに身を包んでおり、自分もまた、厚手のケープを羽織っている。いぶかしみつつ外に出ると──
「……雪だわ」
 灰色の空に、細かな雪がちらついていた。思わず手のひらをかざしたが、儚くて白い花びらたちは触れるとすぐに溶けてしまった。
 周囲を見回しても、積もる気配はなかった。この程度ならきっと、大した降りにはならないだろう。けれど、東京で雪なんて珍しい。
 ──だから、よく覚えている。
「初雪だね。こんな日に当たるなんて運が悪かったかなあ。寒くはない?」
「……平気よ」
 彼女はそう答えて、せいいっぱい、笑った。
 そう。よく、覚えている。
 ぴかぴかの豊島園駅、よくデートをしたとしまえん。
 結婚が決まり、最後にふたりで訪れたあの日は、東京には珍しく十二月の初雪が降った。
 そして、隣には懐かしい笑顔がある。
「ちっとも寒くないわ。さあ、早くとしまえんへ行きましょう」
「おいおい、そんなに引っ張るなよ。転んでも知らないぞ」
 ふたりで笑いあってエントランスをくぐり、手を繋ぎ、小径を歩きながら他愛ない言葉を交わした。
「電車が止まったら困るなあ」
「やあね、そんな言い方。せっかくの雪なのに、ちっともロマンチックじゃないわ」
「ロマンチックな方はきみに任せるよ」
「もう、せっかくのデートなのに」
「としまえんは何度も来てるだろ?」
「あなたとなら、何度だって楽しいもの」
 そう答えたら、いっそうぎゅっと指を強く握ってくれて、手を引かれるままに歩いた。それっきりお互い言葉はほとんどなかったけれど、優しい温かさがずっと傍らに寄り添っていて、ちっとも嫌じゃなかった。
 雪は、か弱いながらも止む気配を見せなかった。けれども、不思議と寒くなかったから、
「ね、あれに乗りましょうよ」
 やがて見えてきた乗り物を指して、言った。
 カルーセル・エルドラド──古い回転木馬、としまえんのシンボルだ。豪華な彫刻は確か、全て木製の手彫りだと聞いたことがある。
 雪のためかさほど混雑しておらず、並んでいるとすぐに順番が回ってきた。もう少しゆっくりでもいいのにね、と彼女は心の中で呟く。だって本当に、少しも寒くないんだもの。
 係員に連れられて木馬に腰を下ろすと、視界の隅で自分のスカートが目についた。当時お気に入りだったツイードのワンピースだ。デートでとっておきのお洒落がしたくて、わくわくしながら奮発して買ったことを、まるで昨日の出来事みたいに思い出せる。
「ねえ、あなた」
 そっと声をかけた。
「その呼び方、なんだか恥ずかしいなあ」
 振り返った彼から、はにかんだ笑みが返ってくる。
「でも、本当にきみが僕の奥さんになってくれるんだよなあ。まだ夢みたいだよ」
「わたしの方こそ……」
 その先の言葉を見失って、思わず口ごもった。
 うまくいかないものね、と彼女は心の内側で苦笑した。
 もし会えたら、いろんなことを言うつもりだったのに。夢ならもっと、ロマンチックなことを言えたっていいのに。
「……わたし、あなたに巡りあえてたくさん幸せをもらったわ。本当に、とても幸せで」
 それだけ、必死で言うのが精一杯だった。気の利いた言葉なんてひとつも出てこない。すごく歯がゆい。
「僕だって、きみと出会えて本当に幸せだよ」
 記憶のままに、優しい微笑みが返ってくる。
「これからは、なにがあってもずっと一緒だ」
「ずっと? なにがあっても?」
 わたしが身を乗り出したとたん、木馬がごとりと、回り出した。
「もちろん。約束する」
 ちいさな明かりがちかり、ちかりといくつも辺りへ灯り始め、彼の穏やかな笑顔をほんのりと、いっそう優しげに染めた。
「僕は、きみのそばに────」
 やがて彼のくちびるから、声が聞き取れなくなった。
 でも、じゅうぶんだった。言葉の代わりに、笑顔があったから。
 きっと彼は、わたしの側にいてくれる。いつまでも、ずっと。
「ありがとう」
 わたしの言葉は、彼に全部届いたかしら?
「……さようなら」
 せめてわたしも、うまく笑えていたらいいのだけれど。

 カルーセル・エルドラドが、止まった。
 そっと地面へつま先を下ろすと、鈍色の空へ滲むように木馬の輪郭がぼやけ、きらきらと光りながら溶けてゆく。
 彼女はしばらくのあいだ空を見上げ、すべてがゆっくりと遠ざかっていくのを静かに見守った。
 ──雪は、もう止んでいた。
 積もってもおらず、あとにはただ、としまえんと駅を結ぶ道だけがまっすぐに伸びている。小さく息をついてから彼女は踵を返し、駅へ向かって歩き出した。思っていたよりも自分の足取りが軽くて、少し驚いた。
「あなたと一緒に来た道ですものね」
 しばらく行くうちに空へかかった雲が切れ──すると、厚い雲の裾に隠れていたらしい宵の明星が現れて、もう冬の夜がすっかり始まっていたことに気づいた。
 こんなにゆっくりと星を眺めたのは久しぶりだった。それから、夜空をきれいだと思える自分に会うのも。
 ゆっくりととしまえんのゲートをくぐり、豊島園駅で新しい切符を買う。券売機のボタンがぴかぴかで、床や柱も新品のようだった。
「そういえば、二十年前……」
 当時の豊島園駅はまだ開業したばかりだったことを、彼女はようやく思い出した。
「そう……こんなに綺麗だったのね」
 差し出した切符が、自動改札へ吸い込まれていく。行きと同じ駅員が、すれ違いざまに「ご乗車ありがとうございます」と笑顔で見送ってくれた。
 ホームでは、すでに電車が待っていた。そして、乗車口に立っているのは四人の青年たちと、車掌がひとり。他には誰もいない。けれど、もうそれほど不思議なこととは思わなかった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 なぜだか彼らが眩しく見えて、少しだけ気恥ずかしくなる。まるで、自分が少女のころに戻ったような気分がした。
「これをどうぞ」
 青年のひとり──たしか、豊島園の駅と名乗った──がそう言って、一枚のカードを差し出した。
「ミラクル☆トレインへご乗車いただくために必要なICカード、norucaです」
「そんなに大切なもの、わたしがいただいてもいいの?」
 少し躊躇って言うと、四人が一斉に頷いた。
「もっちろん! 一度乗ったことがあるひとには、必ず渡す決まりなんだ」
「受け取ってください」
「としまえんで遊びたくなったら、また僕らが案内します」
「まあ、できれば寒くない時期がいいけどな」
 気さくな笑顔で、もう一度、カードを差し出された。
「時代と共にとしまえんは形を変えて、ひょっとしたら昔とは違う姿になるかもしれません。でも、あなたと一緒に時を刻んでいることを思い出してください。それから、いつだってあなたのとしまえんは、ここにあるんだってことを」
「もちろん、忘れたりしないわ。としまえんのことも、あなたたちのことも」
 彼女は笑顔でカードを受け取り、
「さようならは言わないでおくわね。……本当に、ありがとう」
 深く、頭を下げた。
「さあ、どうぞ」
 促されて彼女は頷き、車内へと乗り込む。
 すると、彼女の帰りを待ち望んでいたかのように、列車──ミラクル☆トレインは滑り出した。
 やがて、光と影が交差し始め、床へ白と黒の模様を描き始める。
 きっと元の世界へ戻るのだろう。そんなふうにすんなり信じられる自分を、少しだけ不思議に思いながら。
 彼女はつかの間の不思議な旅を楽しみつつ、そっとまぶたを閉じた。

「大丈夫かなあ、おばさん」
 去って行くミラクル☆トレインを眺めやり、練馬が呟いた。
「なんつーか、一瞬だったけどさ……あんなんで役に立ったかな? 俺たち」
「大丈夫だよ」練馬春日町が呟く。「あのひと、すごくいい顔で笑ってた」
 練馬はちらりと練馬春日町を見てから、
「……そっか。そーだな」
 素直に頷いた。練馬春日町がいつになく柔らかな声で、おまけに珍しく笑顔で言うんだし、きっと大丈夫に違いない。
 豊島園もまた、頷く。
「また寂しくなったって、あんなにあったかい思い出があるんだから、きっとまたとしまえんに遊びに来てくれる。いつだって笑顔になれるよ」
「……ところで、水をさすようでなんなんだけどよ」
 光が丘が言った。
「あのさ、俺ら、これからどーすんだ?」
「へ?」
 ことりと練馬が首を傾げた。
「だっていま、ミラクル☆トレイン行っちまったじゃねーか。俺らは、どうやって戻るわけ?」
「……あ」
 四人は思わず顔を見合わせた。
 すると、こほん、と軽い咳払いのあと、
「三日後に年末運転が控えています」
 ニッコリと口許を笑う形に結んで車掌が言った。
「でも、みなさんなら問題ないですよね? なにせ二度目ですから」
「え……? え? に、二度目ってなにが」
「ああああああ────!!」
 唐突に、練馬が叫び声を上げた。
「な、なんだよ駈流、急にデカい声出して」
「そういえばここって、たしか、二十年前じゃね……?」
「それがどうした。……ん? 二十年前……?」
 首を傾げて難しい顔をしている光が丘の脇で、練馬春日町がぽつりと、
「悪夢の大晦日、じゃない?」
 四人は再度、顔を見合わせる。
 すると、車掌がきらめくような笑顔で、宣言した。
「言ったでしょう? しっかり働いてもらいますよって。せっかく来たんですから、ゆっくりとこちらのお手伝いをしてから帰りましょう!」
「ええええ────!?」

 ──これはほんの小さな、彼らの物語のひとつ。
 ミラクル☆トレインはいつだって、あなたの幸せの隣を走っています。

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