テキスト:関 涼子



(あっつーい……)
 今日の大江戸線は、なんだかとても混雑している。
 少しこぢんまりした車体の大江戸線だけど、いつもならラッシュでも体を動かすくらいのスペースはある。混んでいても肩がくっつく程度で済む方が多い。
 なのに、今日はぎゅうぎゅう! 最近雨が多いのも手伝っているのか、空調はちゃんときいているのに車内が蒸し暑い。
(遅刻しそうな時間に起きて、電車に飛び乗ったわたしも悪いんだけど)
 周りの空気もこころなしか機嫌が悪そうで、ひりひりしている気がする。肩をすくめながら新聞を読んでるサラリーマン、眉をひそめながらつり革につかまっているおじさん、ショルダーバッグが滑り落ちないように必死で押さえているおばさん、髪型を気にしているふうなOLさん──
(……あれ?)
 ふと目を上げると連結の向こう側、隣の車輛が空いているように見えた。動くのも辛い状況だけど、でも、気になる。だって、少しでも空いてるほうが楽でいいもん。
(少しずつなら移動できるかな)
 足許を確認して、そろりと一歩、また一歩。
 電車がときどき揺れるのを見計らって、身体をずらしてみた。案外いけそうだった。
 連結まであと少し。
(怒られたり、睨まれたりしませんように!)
 つま先を伸ばして肩を隙間へ滑り混ませて──そのときだった。
 いきなり、人混みが緩んだ。
「え……!?」
 いままであちこちから押されていた力が、ふと消え失せた。
「きゃっ!」
 わたしは勢いで前のめりにつんのめって、連結の方へと転がり込んだ。
 足、もつれて止まらない!
(ダメ、転んじゃう!)
 衝撃と痛みを想像して、わたしは思わず目をぎゅっとつむった。







「おっと!」
 とすん、とほっぺたに暖かい感触があって、頭の上から男のひとの声がした。
「大丈夫?」
(やだ……わたし、誰かにぶつかっちゃった)
 でも、おかげで転ばないで済んだみたい。お礼を言おうとして見あげた。そしたら、
(え──)
 至近距離で、イケメンがドアップになってた。
 優しそうに目を細めて笑っている、男の子。
 まばたくと思ったより大きなアーモンド形の瞳、長めの睫、さらさらの髪の毛、整った顎のライン──距離が近すぎて、それ以上はわからない。
「混んでるし、こっちにおいで、ね?」
 笑顔のままそう言って、彼はわたしの手を引っ張って歩き出した。
(……きれいな背中)
 それにたくし上げたシャツの袖口から覗く腕はしなやか、わたしの手を掴む指も少し骨っぽくて、とっても男らしい。でも全然乱暴じゃないし、むしろ仕草があんまり自然だったから、わたしはぽかんと口を開けたまま大人しく彼について行った。たぶん、連結をくぐり抜けて隣の車輛に。
(……の、はず)
 なのに!
(ここ、なに!)
 隣の車輛であるはずの場所は、確かに電車の中だけど、さっきまでの混雑がウソみたいにガラガラだった。
 慌てて後ろを振り返ると、さっきまで居た連結の向こう側──誰もいなくなってる!
(ウソ、なんで!?)
 わたし、いったいどこへ来ちゃったの!?
 だけど……だって走っている電車の中なのに、隣の車両以外、どこに行けるっていうの?
 なにこれ、新手のアブダクション!? それとも夢!? あ、そっか夢か、なんだ夢だ、夢なんだきっと! 夢ゆめ、い、いたっ、いたたたた! ちょっ、わたし、ほっぺた痛い!
「大江戸線はさ、普通の地下鉄よりもちょっと小さいんだよね」
「え?」
 自分でつねったほっぺたをさすりながら涙目で顔を上げると、男の子がぱちりとまばたいてから爽やかに笑った。
「大江戸線がミニ地下鉄って呼ばれてるの、知ってる?」
 ミニ地下鉄どころか、わたしの気分はいまミニホラーだよっ!
 ……と、言いたいところだったけど、彼の笑顔があんまり爽やかすぎて言える雰囲気じゃなかったから、わたしはただ頭を横に振った。
「地下鉄を作るってすごく大変なことなんだ。まず地面を掘らなきゃいけないよね? で、なるべく楽に作るためにトンネルの断面を小さくして、車体を小さく床も低くする。そうやって、少しでも効率よく作ることは結構重要なんだ」
「えっと……だからミニ地下鉄?」
 やっとのことでそれだけ言うと、
「そうそう!」
 彼はぱっと嬉しそうに笑った。
「ちょっと車両が小さめだから、実際より混雑してるように見えちゃうこともあるんだけど……でも、ちゃんといいところがあるんだよ。地下鉄として後発の大江戸線がリニアモーターを採用しているのは、薄型で車両が小型化できることはもちろんだけど、駆動力を車輪とレールの摩擦に頼らないで済むことも理由のひとつなんだ。普通の電車はモーターの力で車輪を回転させて進むから、できるだけ直線的な路線空間を確保しなきゃならないんだけど、ほら、ただでさえ東京は地下鉄が多いだろ? 新しくトンネルを作ろうと思ってもなかなか難しいんだ。けど、その点リニアは車両と線路の間の磁気の力で進むから、角度の高い斜面とか、きついカーブなんかも走りやすくてうってつけってわけ。見た目ちょっとは小さいけど、立派な都営地下鉄線なんだ」
 いきなり、あんまり喋るからビックリした。
「えっと……すごく詳しいんですね」
「まあね」
 口端を上げてちょっと胸を張って見せるのが、見た目の印象よりちょっとだけ子供っぽくて、なんだか少し緊張が解けた。
(好きなことを喋り出したら止まらなくなっちゃうなんて、可愛い)
 そうとうな鉄道オタクみたいだけど!
 でも、大江戸線がそんなことを考えて作られた電車だなんて知らなかったな。毎日乗ってたのに。なんだかちょっと得した気分、かも。
「ちょっとは好きになってくれた?」
「……え?」
 まばたいて視線を上げると、いつの間にか彼がわたしを間近に覗き込んでいた。
 う、うわ……っ、ちょっ、ちょっと待って、近すぎ!
「ね、どう?」
 ど、ど、どうって……なにが!?
 ていうか、もうちょっと下がって、下がって! オネガイだから、白線の内側へお下がり下さいっ!!
「さっきまで、混んでてやだなって思ってたでしょ」
「え??」
「でもさ、最初はやだなーと思ってた相手でも、いろいろ知ってみたら案外いいやつだったりすることってない?」
「え、あの……そのっ」
 そんなことより、そのだだ漏れイケメンスマイルを一回しまって! 大変申し訳ないんだけど、わたしがうまく喋れないからっ。ああやだもう、絶対わたし、顔が真っ赤になってる……!
 もう混乱しすぎて、何をどう答えていいかわからずに困り果てていると、
「お、めずらしいな」
 イケメンくんの後ろから、別の声がした。
(よ、よかった……)
 いまの状況からちょっと解放されるかも、と少しだけホッとしてわたしは声の方を見た。
 ──でも、わたしの考えは甘かった。
「史が女の子連れこむなんて。ふーん?」
 視線の先には、また、別のイケメンが立ってた。
 それも、目が眩みそうに華やかなひとが。
(うわあ……!)
 イケメンはイケメンでも、こっちのひとはファッション雑誌のモデルさんみたいなスタイルの良さ。シャツの胸元を少しくつろげて、ラフに着崩しているのに全然だらしなく見えない。こっちへ向けてウィンクなんかして、だけどイヤミがなくて……なんでだろう、一見軽そうなのにスマートで上品な雰囲気なのがすごく不思議だ。
「あのさ、連れこむとか言わないでよ。自分と一緒にしないで。あと、僕を名前で呼ばない!」
 ムッとした声でそう言って、イケメンくん(仮)はモデルさん(仮)の前に立ちはだかった。
「なんで。いいじゃん? 史。かわいくてさ」
「だ、か、ら、かわいいって言うなよっ!」
「ねえねえ、キミもそう思わない? かわいいよねえ、ふみちゃん、て」
 ひょこっとイケメンくんの肩越しに、モデルさんがこっちを覗き込んでニッコリした。
 わ、わたし!?
「あ、え、えっと……はい」
「ホラ、彼女も可愛いってさ」
「誘導尋問しないでよ、新宿さんっ」
「してない、してない」
「おい、おまえたち。いい加減にやめないか」
 と、そこで割って入って来たのは──またまた別のイケメン!
(もうっ、この電車、いったいどうなっちゃってるの!?)
 新手のイケメンは、髪の毛を後ろにきっちり撫でつけて、眼鏡をかけていた。レンズの向こうには、神経質そうな少し上がった眉と切れ長の瞳。シャツのボタンは上まできっちり留めてあって、いかにも几帳面そう。
「すまない、驚かせただろう」
 おまけに、低くて深みのあるすてきな声。
(こんなの、ビックリするに決まってます!)
 アナタみたいな、オトナの魅力が服を着て歩いているような方と喋ったことはありません!
 だいたい、頭ひとつぶん背の高いイケメンにずらっと取り囲まれて、緊張しない女子は、いませんっ!
 ──とはとっさに言えず(トホホ……)。
 ホントになんなの、このホストクラブも真っ青の美男子大安売りは。なんだかくらくらしてきたよ……。
「見ろ、彼女はかなり疲れた顔をしている。少しは気を遣ったらどうなんだ」
 眼鏡さん(仮)は細いフレームのブリッジを指で押し上げながら言うと、
「おっと、俺としたことが。──失礼、子猫ちゃん」
 モデルさんが、またウィンクした。
「向こうの座席まで、俺にエスコートさせて貰える?」
 甘ったるい声で囁くように言って、小首を傾げながらこっちを見た。
「え……え? あ、あの、その」
 慌ててわたしは周りを見回した。
 右には最初に会った電車好きのイケメンくん。左には真面目そうな眼鏡さん。正面にはモデルさん。
 どっちを向いても絶景イケメンポイント。ついでに言うと、真後ろは連結車両の扉がガッチリしまってる。
 じゃ、じゃあいまのは……わたし!? わたしに言ったの!? で、でもエスコートって、どこへ! ここ電車だし、絶賛疾走中だし、外は真っ暗なトンネルだよ!
 なのにわたしったら、
「それとも、俺じゃお気に召さないかな」
「召します!」
 必死に頭を振りながら思いっきり叫んでしまった……バ、バカバカバカわたしのバカ! 意味わかんない! 緊張しすぎ!
 あんまり恥ずかしくて俯いていると、くすりと小さな笑いが零れ出たあとに、目の前へ手が差し出された。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
 思わず顔を上げると、大きな花が咲いたみたいな、艶やかな笑顔があった。
 まるで魔法にかかったみたいに、気づいたらわたしはぼんやりと自分の手を差しだしていた。長くてきれいな指が、わたしの手のひらをそっと絡めて引いてくれる。
 さっき、電車好きなイケメンくんのときもそうだった。全然知らないひとなのに、こんなわけのわからなシチュエーションなのに、ちっとも怖くない。
(ドキドキは……するけど)
 モデルさんとイケメンくんだけじゃない。眼鏡さんだってそう。彼らを見たらきっと誰もが立ち止まって振りかえるし、一度見たら忘れられなくて、たとえどんな人混みの中でも見つけられる。
 きらきらしていて、一緒にいるだけでドキドキする。
「その子、僕が連れて来たのにさ」
「怒るなって、史ちゃん」
「史ちゃん言うなってば!」
「私の言ったことが聞こえなかったのか、おまえたち。少しは静かにしろ」
「はいはい」
「返事は一度でいい」
 眼鏡さんが静かに言うと、モデルさんは肩をすくめた。
「はーい。さ、どうぞ座って。混んでて疲れたでしょ?」
 まぶしい笑顔のどこへ目をやっていいのか戸惑いながら、わたしは言われるがままにちょこんとシートの真ん中へ腰を下ろした。
 混雑していたはずの大江戸線の、誰もいない車両。
 突然現れたかっこいい男のひとたち。
「……いったいあなたたち、誰なの?」
 思わず、訊ねていた。
「あ、いけない。自己紹介まだだったね」
 イケメンくんが、コホン、と咳払いしてから爽やかに笑った。
「僕は六本木 史、よろしく!」
 次にモデルさんが。
「俺は新宿 凛太郎。凜ちゃんでいーよ?」
 最後に、眼鏡さんが。
「私は都庁 前。リーダーを務めている」
 三人はお互いに顔を見合わせてから、わたしの方を向いて声を揃え、言った。
「ようこそ、ミラクル☆トレインへ!」



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